家業へ。
サラリーマン生活に一区切りをつけ、家業を継ぐべく親元に戻ったのが2000年2月。
ミレニアムな年に向かう2000年の頃といえば、ちょうど、ノストラダムスの大予言とともに、〝Y2K問題〟がホットな話題になっていた頃です。
ちなみにY2K問題とは、西暦が2000年に変ることでコンピュータに誤作動が起きると言われていた問題のことです。 ソフトウェアの作り方によっては、西暦下2桁の【00】年を2000年として認識せず、1900年と判断してしまう。そのため、データの記録がめちゃくちゃになってしまうかも… ということが危惧されていました。
その問題への対処が当時のボクの担当でしたので、一通りの確認を済ませ、区切りをつけたところで会社を辞めました。
自分の居場所は?
戻ってきてしばらくは、分野が全く違っていたので何もかもが新鮮… というより、正直なところしばらくは困惑の連続でした。(汗)
一応、高専では機械工学を専攻して習ってはきたものの、学校でやってきたことと実際とでは当然ちがうわけで…。 やってみたい、やりたいことも、技術が伴わないのでままならず。(A;´・ω・)アセアセ
親父からは〝あれやっとけ! これやっとけ!〟と、まるで雑務のような仕事ばかり。 まぁ、当然と言えば当然なのですけど、入ったばかりで自分で判断できないというのが、ものすごく歯がゆくもあり、嫌でもあり…。
極めつけは、親父の仕事仲間から『この仕事、にぃちゃんにやらしたらええねん。』と言われたこと。 それを言った相手に悪気はないのだと思うのですが、それを聞いたときは、「なんで、あんたにオレの仕事決められなアカンねん!」なんて、思ったのでした。 なので、その当時は
何で帰ってきたんやろ?
何のためにここにいるんやろ?
前のまま仕事してたら今頃は…?
と思う日々が、しばらく続いていました… いや、正直なところ数年間は続いていましたね。 (^_^;)
仕事に対する前向きで明るい将来像や希望というより、後悔に似た感情方が大きかったような気がします。
サラリーマンの頃は、ある程度自分の好きなようにやっていて、自分の立ち位置、居場所も確保できていたのに、帰ってきてからはなんだか自分の居場所が感じられず…。 当時というか、今もなのですけど、親から指図されずに独りでできる事と言えばパソコンくらい。
なので、パソコンに向かってる時が一番落ち着くという。笑
家業に就きだして真っ先にやったことは社内のネットワーク(通信)環境を整えて、電子メールを使えるように整備し、ホームページを自作するいうことです。 それで、なんとか自分の居場所やモチベーションを確保してました。
今でこそ当たり前なのですが、その当時の町工場の主流は依然として電話とFAX。 電子メールやホームページも持ってるところがすごく稀で先端を走ってる感じでしたよ。笑
そんなある時、転機がやってきたのです。