けたろーです。
仕事の悩み事、会社の悩み事、工場での悩み事、人の悩み事。
ほんと、生きてく上では、色んな悩み事がありますよね。 で、ちょっと思うんです…
変わってきた悩み事の種類。
仕事柄、生産現場や製造現場での悩み事の相談を受けることが多いです。
概ね、それらの相談事は
・今の方法では手間がかかるので何とかしたい。
・生産数が増えてきたので生産効率をあげたい。
・誰でも簡単にできるようにしたい…
などといった生産に対する悩み事である場合がほとんどです。
やってる仕事柄でのことなので当然と言えば当然なんですけど… 笑
でも、ここ数年で悩み事のニュアンスや雰囲気が変わってきてる感を受けています。
以前までは、もっぱら、生産や製造そのものに対したこと、例えば、〝生産量〟や〝処理能力〟に対する話題が中心でした。 でも、ここのところは〝人手〟に対する悩み事が多くなってきている傾向にあるようです。
特に顕著なのが、海外に進出されているお客様での話題。 数年前とは、全く変わってきました。
顕在化してきた人手の問題。
数年前、いや、数十年前くらいかな。 その頃の彼らの口ぶりは、
人手はいくらでもある! 何人でも使っていいから、とにかく生産数をあげれるようにしたい!
と、人手に関してはなんら問題がない様子で、むしろ、人件費が安いということをすごく強調されていました。
でも、ここ数年でそれが一変してきました。
国内でも国外でも同じ?
〝人件費も安いし、人手はなんぼでもあるし!〟 という口調から、
なるべく人手をかけず、自動化の方向で考えたいのだけど…
というトーンに かなり 変わってきてるようです。
海外、特にアジア圏では年々人件費が高騰し、且つ、スタッフの離職率が高いという問題があります。 また、業者によっては、以前のように人材が確保しにくくなってきているということもあります。
現地の方々の仕事に対する価値観はすごくドライで、より給与や待遇のいい方へすぐに流れていくようです。
これは我が国内の様相にも通じることがあります。 もっとも、我が国内では、少子高齢化という問題が前面にあり、それに伴うスタッフ不足に加え、仕事の多様化もそれを助長しているようです。
生産現場や製造現場で考えると、高度成長期の頃は、製造業というのは一種の花形産業でもあり、手に職をつけて…とそれを目指す若者も多かったと聞いています。 でも、現状を考えると仕事への選択肢が増え、その当時のような人気のある職種であるとは言い難くなっているのも否めないですよね。
実際、海外でも製造業種が花形の時代ではなくなってきてるようです。 台湾で聞いた話、国内の若者は製造業離れを起こしていて、国内では人材が見つからないから、外国人を雇わざるを得ない… だとか。
今では、パソコンさえあればどこでも仕事ができる時代。 生産や製造現場のような〝固定化〟されたワークスタイルよりも、場所に縛られずどこでもできる仕事の方が好まれる傾向にもあるようです。 特に、コロナ禍で、ワークスタイルは激変した感があります。
ということを思うと、海外でも国内でも人件費の高騰もさることながら、人の確保自体が難しという問題が共通のテーマになってきていると言えます。
国内では高齢化問題。
国内での現状のもう一つの問題は、高齢化問題です。
生産現場を見せてもらう機会があるときの印象は、かなり年配の方が活躍されているところが多いです。 うちも、親父がまだ現役なので、よそさんのことは言えませんけど。(^_^;)
他での話しを見聞きしてると、勤続何十年の大ベテラン的な… いつの間にか在籍の年月が増え、いつの間にかベテランと呼ばれるスタッフになったという感じでしょうか。 パートさんでも社員さんでも、どちらも同じことが言えるようです。
逆をいうと日本はそれだけ職場環境が良いとも言えます。
ということを考えると、高齢者の立場から考えれば働く場所があるという生きがいにもつながるため、全部が全部、悪い問題であるとは言い難いと思います。 事実、うちの親父は、『自分の工場』があるお陰で日々の生活を元気におくれているようです。(金銭的な面は別にして。)
また、そういった現場で生産の状況をお聞きしてると、年配のベテランの方たちに支えられ生産量はキープできているものの、彼らがいなくなるとたちまち破綻してしまうという危機感を持たれているところが多いようです。
危機感を持たれている場合はまだマシかもしません。 ある意味、〝まずい〟という問題意識があり、その箇所が明確になっているのですから… ただ、ベテラン依存の問題は少々根が深い気がします。
しかし、この点に関しては、今に始まった問題ではなく、かねてよりベテランに〝依存している状況が続いている〟ということが言えるのではないでしょうか?
ベテラン依存の弊害
確かにベテランに仕事を任せれば、綺麗に仕上がるでしょうし、速さもありますよね。 しかし、それなりの弊害も内在しています。 こと、ベテランともなれば、さまざまな勝手を熟知しているしていて、どんな場面でも臨機応変に対応し、且つスピードも速いので、ついつい彼らへ頼りがちになってしまう傾向があります。
つまり、依存に陥ってしまう要因は、ベテランが持っている〝臨機応変さ〟と〝スピード〟です。 加えて、その当時から引き継がれている〝コスト〟も。
いずれも、生産現場には不可欠な要素で、人手で行っているような現場ではその効能が得やすいからです。
ベテラン依存からの脱出
では、どうすれば、その依存状態から脱客できるでしょうか?
人手による作業を行なっている場合での一つの選択肢として、機械を導入することが挙げられます。 ただし、上記までの理由で機械の導入を考えられている場合には少し注意が必要です。 なぜなら、人と違って、
機械は万能ではない。
ほとんどの方が、機械を入れさえすれば、全てを解決してくれる… という誤った認識を持たれています。 しかし、陥りやすい問題の多くは〝機械を入れれば全部やってくれる〟と思ってしまうことにあります。
機械を万能だと思ってしまうばかりに、機械に対して、過剰な〝幻想や期待〟を頂いてしまうのです。
機械の導入によって解決できることは〝やるべきことが定まっている場合〟です。 もし、機械を導入することで人のような臨機応変さを期待しているのであれば、機械を導入したとしても後悔する率が高くなるということです。
機械の導入に対する考え方。
人員の補完として機械導入を考えているのであれば、今までの考え方を改める必要があります。
なんでもかんでも機械に期待するのではなく、機械の位置づけを決め、機械に対して明確な役割を与えるということです。
例えば、ある製品を仕分けするといった場合、人手による作業であるなら、多少向きが揃っていなくても臨機応変な対応ができます。 でも、機械で行う場合には、ルールを決めておく必要があります。 仮に、どんな向きでも対応したいというのであれば、カメラを使って向きを判別するなどして実現は可能ですが、ものすごくコストがかかってしまいます。
そこそこのコストで実現しようとする場合には、それなりのルール作りや仕組みが必要になってくるのです。
とすれば、まず、機械でできる範囲をさぐることがポイントになります。 作業を細分化し、今まで行ってきたベテランでなくてもできるような仕組みを考え、現状の人手での作業を1/2もしくは、1/3で済ませれるように、人と機械の役割分担を決めるのです。
処理能力への対応。
次に問題になるのがスピード、つまり、処理能力です。 能力の考え方についても同様、考え方を変える必要があります。 能力を考える場合には、長期レンジで捉えてみるということがひとつのポイントです。
人員が揃わないと生産のパフォーマンスがでないとか、ベテランがパフォーマンスを牽引しているという状況においては、概ね、生産にバラツキが生じやすい傾向があります。 また、人の場合では、労働規約上、同じ人が四六時中働けるわけではないため、その点もパフォーマンスに影響を与えるファクターになりえます。
反面、機械に置き替えた場合ではどうでしょうか? 人と違って機械は同じリズムで動作することができます。ベテランほどのスピードは出せないにしても、年間を通じて安定したほぼムラのない生産が見込めるはずです。
その辺りの違いを理解し、公平に且つ正確に比較検討しながら、機械の能力を捉えるのです。 もちろん、場合によっては、減価償却や費用対効果の面での検討も必要になると思いますが、大切なのは、〝ベテランだから〟とか〝機械だから〟といった偏った見方をしないということです。
「人」ファーストから『機械』ファーストへ。
もう一点、重要なことがあります。
人手による作業を行ってきた作業現場では、人手による臨機応変さにより、概ね、〝人ファースト〟な作業環境になってしまっている場合が多いです。 例えば、生産用の資材を扱うような場合を考えた時、外寸や厚みなどのサイズに少々の誤差があったり、外観の質感が多少変わっていたとしても、おそらく問題なく処理が行われるはずです。 これは、人の臨機応変さの賜物と言えます。
ところが、機械に置き換えるとなると、それは一変します。 機械には人と同じような臨機応変な動作が難しいからです。
例えば、外寸や厚みが変わるとたちまち動作に異常を来します。 外観の質感が異なるのも同じくです。 人手の作業では些細なことだと思われることも、機械にとっては致命的になりえるのです。
もし、機械の導入を検討されるのであれば、人の動きを中心に考えるのではなく、使用する資材等を含め、全て〝機械を中心〟とした環境でデザインするのが得策です。
効率化の先にあること。
現在では、例えば、8時間かかっていた作業が、機械の導入によって5、6時間で出来るようになった場合でも、その余った時間を更なる仕事へ転化させるというのが主流の考え方です。
これには、『8時間は働かなければならない』という社内の労働条件の規約によるバイアスがあるように感じます。 もしくは、雇用する側から言えば、8時間の規定で2時間も早く仕事を終ったなら、それで8時間分の給与を払うのはもったいないとか、無駄(経営的に損)だという考え方もありますよね。
ですが…
そんな考え方を改め、せっかくの時間をもっと別の次元で有効に活用できるような仕組みを考えてみてはいかがでしょうか? あるいは、就業時間の捉え方を変えてみるというも一考です。
6時間しか働いてないのに、なんで8時間分払わなあかんねん!
という気持ちもわからなくもないのですが、昔と今では時代は変わっています。 当然、若者の思考も変わってきています。
例えば、給与体系はそのままに、就業時間を縮めるとするなら、仕事そのものの単価や価値もあがるはずです。 ダラダラの8時間労働での20万がいいか? キビキビの6時間でも20万がいいのか? 自明です。
加えて、『今の』体制は、恐らく、過去からの考え方や意識に基づいて成り立っているのだと思えます。
過去の経済成長期からの〝どんどんつくれ!〟とか、『経済は成長し続けるものだ』という概念をベースに形成されているのだと思います。 でも、本当にそうでしょうか?
少なくとも、少子高齢化で『モノ』はそれほどいらない事態に陥っています。 また、大量消費が美徳だという風潮がだんだんと見直されてきているというのもあります。
つまり、過去の考え方は、既に今の時代に合わなくなっているということです。 要は、簡単に言えば、ちゃっちゃと仕事を終わらせて、その浮いた時間を自分や家族のために使って!! ということです。
そうすることで、たかが機械の導入も、〝されど〟になるわけです。 しかも、職場の働き方に大きなインパクトを与えることができます。 それによって、会社や個人のみならず、各家庭を含めた周りが幸せになれるはずです。
それって、すごくいいことだと思いませんか? (*^-^)ニコ
ご相談、お問合せはお気軽にどうぞ。