けたろーです。 日焼けした背中の皮が・・・ (^_^;) 結構、やばいことになってます。w
さて。 最近、ちょっと考えることがあります。 それは、働き方や仕事に対する考え方やスタイル・スタンスについてのことです。
ずいぶん変化した働き方や仕事の考え方。
ボクが就職した90年代初頭のころと今を比べると仕事に対する捉え方とかライフスタイルも、ずいぶんと変わってきています。 まぁ、社会的な構造の変化にも起因してるのでしょうけど。
ボクの父親の世代は、戦後の物資のない頃のイケイケ・ドンドンから始まっての高度経済成長期で、すごく活気に満ちてた世界。 働けば働くほど、豊かになっていく・・ そんな時代。 概ね、現在の働き方のスタンスや思考・思想もこの頃のなごりがあるのは否めないですよね。
で、オイルショックなどの不況を得てからの、また更なる絶頂のバブル期とか。 バブルの絶頂期を過ぎた以降は、今現在は、言わずもがな、失われた30年・・・ですか… 経済的な成長や、社会的な活気がかなり停滞というか、後退している感じ。(^_^;)
過去からのことを振り返ると、少なくとも〝物〟にまつわる歩みだったのは間違いと思います。 〝物〟を中心に日本の社会、いや、世界自体が回ってきたといっても過言ではないかも。
日本国内をみれば、そのお陰でボクらのようなものづくり屋が台頭してました。 一昔前には、『技術立国日本』として、世界を席巻している時期もあったくらいですもんね。
で、ここにきて、『物』中心の様相が変わりつつあるのかなって思うんです。 『物』について言えば、もちろん、中国とか周辺諸国がよりリーズナブルなものを市場に投入してきたというのもありますし、電子デバイス化が進んで、日本が優位にしてきたハードウェアに対する精密技術という点が薄らいできたというのもあります。
が、云いたいのはそこではなくて、物を中心な考え方からの離脱です。 変化点として感じるのは、まず、阪神淡路の災害。 あれ以降くらいから、少しづつ〝物〟から〝心〟の方へ移行してる気がします。
この点を考えると、欧米諸国が先進を行っているのかもしれません。 機能を追い求めない限り、先進国と言われる国では十分すぎるくらいの環境が整っています。
見直す時期?
ここにきて、変化のスピードが速くなってきてるようにも感じています。 東北の震災然り、コロナ禍しかりです。
そんな時代になってきてるからこそ、生産現場の考え方や在り方、工場自体の在り方を見直し、また、それにともない、機械や設備自体の考え方、在り方も見直す時期にあるのでは? と思うのです。
10数年ほどくらい前まではイケイケドンドンの生産が主流で、その生産体制に合わせるように人の体制も機械の構成もそれなりに考えられてきました。 大量生産・大量消費の考え方がベースがあって、その上で、人にせよ、機械にせよ、全てが成り立ってきました。
でも、今はどうでしょうか?
必要な物は、ほぼ身近に存在し、溢れかえっている状態にあって、その中から〝本当に必要なモノを得る〟という方向にシフトしているような感じを受けています。 物にしても、情報にしてもそうです。
情報なんて最たるものでしょう。 今や、掌の中で色んな情報を参照できる時代。 欲しい時に欲しい情報が、瞬時にその場でとれるのですから。 溢れかえってるからこそ、本当に自分が必要としている事がらを明確に吟味するスキルが必要で、自分の内面にある本当の想いとか、価値観を整理する必要が出てきているのだとも言えます。
それに伴うように働き方への価値観やスタンス、〝物〟そのものに対する価値観も着実に変化しています。 具体的に言えば、働くことへの〝本来の自分の時間〟のバランスを考え始めるようになってるということです。
また、それを許容できるような社会にもなってきているというのもありますよね。
働くとは?
以前、誰かから聴いたことなのですが、『働くとは、傍を楽することだ』という風に表現している人がおられました。
確かにそうなのかもしれません。 でも、ボクが思うに、それが本当に自分がやりたいことの上でならOKなのでしょうけど、自己犠牲とか、本来の自分の(理想の)以外のところなら、どうなんだろう? って思うんです。
確かに傍は楽になる。 けど、自分がすごく惨めで、すさんだ状況(気持ち)になるのであれば、それは違うと思うのです。
本当に必要なモノ、本当にやりたいコトはなんなのか?
働くとは、それがベースにあると思います。
最近の世の中をみていると、好きなことをするために別の地域へ移住する方が増えているのもそうですし、旧来の働き方に囚われず、自由な方法で仕事している方が増えているのもそうです。 ポイントは、
自分が本当にやりたいコト(目的)をしっかりと考え、その上で働くこと(手段)を考える。
なのだと思います。
職種にも依りますが、コロナ禍になってリモートやオンラインで仕事ができる環境になったというのも大きな一因とも言えます。 とするなら、今までのような考え方をベースした生産工場はどうなのでしょうか?
生産現場だから?
もっとも、生産するという業種業態は、オンラインでできるわけでもないので、仕事の自由度はかなり制限されます。
でも、現行を鑑みると、作業に追われ、本来の自分自身の人生を謳歌するヒマもなく、気が付いたころには… もっと言えば、時代の流れを見ようともせず、それを強要してしまっている運営サイドにも少なからず問題はありそうですよね。汗
【生産現場だから変えれない、変えようがない】というのは、少し、早計すぎるのかもしれないのです。 むしろ、それを口にするのは経営者側の言い訳に近いのではないかと…
〝自分自身の本当の人生を謳歌しながら、仕事も謳歌できるような環境。〟
があって、その上で必要な稼ぎや利益も得るのがベストな姿なのだと言えます。
ここで大切なのは〝どう在りたいか?〟ということです。 まず、〝在り方〟を考え、次にそれを実現するための方法を考え、実行・実践に移す。 もしかすると、今までとは逆のアプローチになるかもしれませんが、これが至極自然なアプローチだと思います。
自分自身の人生・仕事を謳歌でき、相手も人生・仕事が謳歌できる環境の実現。 そのために、ボクとして何が提供できるだろうか? 時短設計を通して思ってるのは、概ねそんなところなのです。
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