仕事の本質。
仕事とは? っていうことについて、今更ながら考えてみたんだけど。

で、出てきたフレーズがこれ。
「喜・快・解」
音的に、『機械かーい』 とも読めるんで、仕事柄、我ながら! と自画自賛的なのは置いといて。。 笑
結局のところ。
セミナーとか、著名と言われる人から聴く言葉が、
仕事とは、相手を喜ばせること。
とか、あるいは、
相手に対して、心地よさを提供すること。
とか、あるいは
相手の不安とか、『困りごと』を解消すること。
そんなことを聴いて、自分の中でも考えていると、相手に対して〝喜〟であり、〝快〟であり、〝解〟なのかなって。
「喜・快・解」
我ながら、良いフレーズだと思うんだけど、どう?
自分を見つめてみる。
という視点で、自分の仕事を見つめてみる。 _と。
哀しいかな、相手に対してというより、〝自分に対する〟それになってしまってるのは否めんことに気が付いた。
が、最終的には、それによって相手も〝喜・快・解〟になってるので、結果オーライなのかもしれないのだけど、ちょっと反省点は多いな。
誰を起点にするか?
その基軸をどこに置くかで、当然、視点が変わってくるわけで… 少なくとも、過去のボクは、自分を基軸に考え、行動してるのが多かったのかなっていう点が反省要素だな。
ただ、その点を考えた時、「誰かのために」を前面に押し出して仕事をする… というのとはちょっとニュアンスが違うと思うんだよ。
これは心理学を学んだときにきいたことなんだけど、〝「人の為」と書いて、〝偽〟という。〟
あなた(人)の為といいながら、それは誰の為でもなく、自分のため(だけ)にやってる… ってなれば、それは〝偽〟。
そこでは、仕事に対する本質的な向きが違ってくるんだろうって。
その、〝誰かのため〟の根っこのところが「自分」に向いていて、で、結局それが〝自分の利益(金)〟のためだったりなんかすると… それは「偽」になるだろうから、なんだかなって思うんだよ。
「偽」になると、やっぱり、それは見抜かれる。 すぐに…
「何のために」が大切。
で、「喜・快・解」の上で、自分が〝何のために〟仕事をしているのか?
っていうことを、今一度考えていかないとなって。
事業をしていく上でお金を稼ぐ。 たしかに、目先のお金も必要なのだけど… だけど、〝お金のため〟だけに働いてるのではない。 そんな話を親としてると、『何言うてんねん』なんて言葉が返ってくるんだけどね。
親からすれば、仕事とは〝銭儲け〟。 ライフワークに対して、「ライス」ワークっていう言葉を聞いたことがあるんだけど、まさに、親から見た仕事とは「明日生活するための糧」的な要素が強いし、『飯食っていくための手段』という意味合いも大きい。
まぁ、幼児時期に戦後の荒れ果てた状態を見て育った親だから、その時期の刷り込みが大きいだろうし、そういう考え方になってしまっているのも仕方がないのかもしれない。 それに父親には、幼少期の強烈な出来事でトラウマになってる体験もあるしね。
で、親が見て感じてきた考え方からの影響を少なからずこちらも受けているのは確かなこと。 その所為とは言わないけど、自分の感情・考え方を軌道修正して、改めて、自分にとっての『仕事とはなんぞ?』とか、『何のために』の部分を考えなきゃなって思う。 って、今がちょうど、そんなタイミングになってる気がする。
「何のために…。」
どんな形のビジネスをやるにせよ、〝何のために〟のところは、普遍だと思うし、自分の仕事への根本的な意味なんだよね。
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