ものづくりをしていると、遭遇する出来事があります。 それは何かっていうと…
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さて、今日のテーマは
ものづくり屋の宿命?
モノづくりの仕事をしていると、時おり、遭遇する出来事があります。 うちでのここ最近は少なくなったのだけど、これをされると、すごく嫌な気分になります。 何か? っていうと、
アイデアとか、構想の盗用。
苦心して考えた構想が、他にもっていかれるという… 逆もしかりなんですけどね。 あ、逆っていうのは、〝こんな図面なんだけど、幾らくらいで作れる?〟とかというパターン。 うちでは、もちろん断ってますが… 以前は、ちょくちょくありました。
そういうの、仕方がないと言ってしまえばそれまでなのでしょうけど、以前にそれで哀しい思いをしたことがあります。 ある会社さんとのお付き合いの中で体験した話しです。 強烈な印象だったので、忘れえないです。
ある会社さんとの取引にて。
縁あって、とある会社さんと知り合いになって、そこと取引をするようになったのです。 その会社さんは、商社的なある製品の代理店。 うちは機械創りをしているので、そこが扱う製品への付帯を手掛けるという感じでした。
取引をするようになって程なく、そこの支店の営業さんたち全員がうちに出入りするようになり、どんな些細な案件でも相談に来られるような間柄になったのでした。
そこの営業さんは数名いらしたので誰か一人でも案件が成立すれば御の字、願ったりかなったりだな… なんてことを思ってたのです。 こと、うちには営業がいないのでちょうどいいなって。
また、どんな些細な内容でもうちに来られていたので、ボクはてっきり、〝うちの技術力を買ってくれているのだ〟なんてばかり思っていました。
ところが… そんな考えが甘かったと思い知らされる事態が起きたのです。
見積もりと構造図は、〝セット〟。
発生したその事態の話しをする前に、構想図に関することをお話ししておきたいと思います。
当時のうちは、見積書にはその案件に対する『詳しい構想図(アイデア)』を添付するというスタンスで対応していました。
…というか、構想図を添付するということについては、半ば、この業界での慣習みたいなところがあって、うちもそれに習ってやっていたという感じです。 まぁ、言ってみれば、そうすることが、当たり前で〝普通〟であって、正直、そこにはなんの疑問ももっていなかったのです。
なので、この会社さんに限らず、他社からの見積もり依頼の際にも、〝見積もりと構想図はセット〟で提出していました。
しかし、構想図とはいえ、それが実現不可能な内容なら意味がありませんよね?
そこをクリアにするため、どうすればその案件が実現するのか? その考えで本当に実現できるのかどうかを、時には模型を作って検証し、整合性を十分に担保した上で〝構想図〟を描き、提出していました。
ちなみに、依頼案件に対する構想への接し方は今も変わっていません。 この点、生半可に構想を描いて、もしも、それが決まって、『やっぱ、無理です。できません。』となれば、こちらの信用にも関わってくることでもあるので、しっかり検証しています。
リーマンショックの頃。
さて、その事態が起きたのは、それはちょうどリーマンショックが収束しつつある頃でした。
その当初、ボクらの業界はそれほど影響を受けていなくて、まだ仕事が回っている方だったのですが、それもつかの間。 時間差で徐々に影響が出始めてきて見積もりの依頼を頂くものの一向に決まらず… という状況になっていったのです。
それまでは、その会社さんから毎月のように見積もり案件があって、例えば10件の依頼があれば、その内3~4件ほどの成約があった… という感じだったのですが、その頃になると、見積もりの依頼はあるものの成約はほぼゼロの状況が続きました。
で、そんなある日、以前、うちがそこの営業(A)さんに提出した構想図で機械が作られているっぽいことが判明したできごとがあったのです。 それが発覚したのは、親しくしていた別の営業(B)さんの依頼からでした。
Bさんは、Aさんが担当だった案件を引き継がれて、その引き継いだ案件にクレームがあり、その対応を手伝ってほしいと、うちに相談に来られたのです。 クレームが起こっているという機械の内容を聴いて、ビックリ!
その機械というのが、以前にボクがAさんから見積もりを依頼され、構想を考えて渡した内容と丸っきり一緒だったからです。
むろん、うちにはそれに対する製作依頼は来ていないので、担当として失注した案件だと思っていました。 でも… 内情は違っていて、うちが考えた構想で、他に作らせてたということです。 しかし、クレームの内容を聴いていて、驚いたというか、飽きれてしまいました。
Aさんは、機械を使用する環境を作り手にしっかり伝えていなかったみたいで、製作した機械のパーツがその環境に対応していなかったということ。 加えて、価格的な面でかなり強引だったのか、それを製作した会社との取引が終わってしまったという… これを聴いて『やっぱりな。』と思ってしまいました。 詳しくは伏せますが。www
実は、今回のことが初めてではなくて、この一件の他にも別の営業(C)さんでもありました。
Cさんでの出来事は、以前にCさんから頂いた見積もり案件だったものが、既に別の業者で対応されていたという事がらです。 別の業者というのは、Cさんお抱えの別の製作会社と言う意味です。
そのことは、ある現場へ案件への下見をしに行った時にわかりました。 Cさん曰く、〝お客さんが作った機械が調子悪くて。〟とのこと。 それをシラッと言われたのを覚えています。 不思議に思えたのは、その機械に対してお客さんが2重にお金を払っているということです。 前回の分と、今回うちが対応する分の2重。 なんか、釈然としなかったです。
まぁ、個々の営業さんはいい人も多かったのですけど、会社として、そういう風な方針を持っているのかなって思うと、そこへの信用が薄らいだのでした。
決定的な出来事。
先にも書いたように、構想を考えるのにもそれなりの労力がいります。
とりわけ、構想を考えていくためには『経験や知識』が必要です。 経験や知識というのは一種の【資産】でもあり、それは、いわゆる〝知財〟に該当します。 良質な〝知財〟を得ていくためには、そこへの投資も必要になります。 例えば、技術セミナーを受講したり、技術書やその他文献を買うといったことなどがそれです。
それに加えて、構想の実現化に向けて、資料を取り寄せたり、技術的な検証を行なったりと、それなりの費用が係っているわけです。 その外には構想を実現させることで、〝スタッフさんたちにも喜んでもらえるだろうなぁ〟という〝想い〟も込められています。
そんな〝結晶〟ともいうべき構想が奪われてしまうという事がたまらなく嫌だったので、それへの対応を改めることにしたのです。 以降の見積もり書には、
構想図やその他図面の提出には費用が発生します。
と、一筆添えることにしました。 また、単に費用が発生するということではなく、〝契約成立で、費用は清算します〟と、実質無料になるように設定したのです。 ちなみに、これについては、別ログにも書いています。
すると…
そんな一筆を添えた見積書をみた営業(C)さんから、思いもよらぬ痛烈な言葉が返ってきたのでした。
お宅は、図面に金をとるのか!
あり得ない! タダやからと思って使ってたのに。
お金とるんやったら、もうええわ!
電話口だったのですが、かなり激しい口調だったのを覚えています。
技術を買ってくれてたんじゃないの?
まさか、あのCさんからそんな言葉が返されるとは思わず、愕然としました。 言葉もでなかったです。 彼からは、「見積もり書いても決まらんから、こんなことを書いたんちゃうんか?」 なんてことを言われたのですけど、ボク自身の中では、
この人は、ボクらの何を選んでくれてたのか? 技術じゃなかったのか? 結局はお金なのか?
という感情でいっぱいになりました。
ボクは、彼らがボクらの技術力を評価してくれていて、それでお付き合いしてくれているものだとばかり思っていました。
だから、そんな風に言われてあまりにもショックで、ボク自身が、惨めに不幸に思えてきたのです。
とはいうものの…
「技術を評価してくれてたんじゃなかったのか?」 …と、彼らを責める思いがある反面、もう一つのことが頭をよぎったのです。 でもこれは、直ぐにではなく、のちのちなのですけどね。 それは、
もしかすると、このことに対する発端は、ボクら自身に起因しているのではないか?
ということです。 なんで、そう思うのか?
それは、構想図への… というより「考えるという行為」へのボクらの捉え方です。
冒頭でも書いたように、構想図の扱いは、この業界での慣習みたいな面があって、そこに何の疑問ももっていなかったのです。 且つ、設計というより〝設計費〟に対する捉え方も同じでした。
結論から言えば、構想図にせよ、設計することにせよ、〝考えるという行為〟に対して、金銭的な提示をボクらは何もしてこなかったということです。
繰り返しになりますが、「考えるという行為」にも〝技術〟が伴います。 実際のものづくりでは、「フィジカル」な面があるため、目に留まりやすく、すぐに理解できます。 溶接にせよ、機械加工にせよ、やってる姿がみれるし、成果物としてわかりやすいのです。
でもそれは、「考えるという行為」でも同じなのです。 それに、「考えるという行為」がないと、あとの製作ができないので、とても重要な位置づけになるのです。 であるにもかかわらず、ないがしろにしてしまっていた… 滝汗
実は、以前のうちの見積もりは〝全部込み〟で書いていました。 構想するための費用はもちろんなのですが、設計費も、細かいことを言えば、運送費や据付けに係る費用も全部込み。 そもそも、機械の売価から〝利益分を残す〟という概念が全くなかった。(汗)
これは、全て言い訳に聴こえるかもなのですが…
機械を作り、売るという仕事の中で、一般的には、構想にかかる諸経費、設計費、パーツの購入費、外注費(外注加工・電機制御など)、運送費、据付け調整費、係る作業への人件費などの諸経費があって、それに加えて利益分がのせられるというのが基本の考え方だと思います。
でも、職人上がりの親父には、当初よりそういう概念は全くなくて…。 こと、利益の面に関して言えば、「自分が関わる作業費=利益=給与」という考え方です。 職人にありがちと言えば、それまでなんですけどね。苦笑
正直なところ、サラリーマンあがりの当時のボク自身も不勉強で、親父の考え方に従う外なくという感じでした。
それに、その根底には、全てを明示して見積もりを書くと「べらぼうな額」になってしまうため、そこへの恐れがあったのは否めません。 もっとも、何を持って「べらぼうな額」というのか?
その捉え方は相手次第なのですけど、少なくとも、弾きだす見積もり額の設定には、親父の〝職人のプライド〟が作用していたは否めないです。 親父曰く〝大したことしてないやん〟と。 だから、そんなに高くできないという彼なりの理屈がありました。
そんな感じの考え方をベースに弾きだした見積もりは、当然のことながら、相手にとってはとてもリーズナブルに映るんでしょうね。 恐らく、先方がうちを選んだのは、そんな理由が一番大きいのかなと思ったりします。
価格の割に、機械の見場や出来もいい。 取引する相手として、コスパがいい。 … そんな感じでしょうね。 のちに、価格については、こんな風なことを言われたことがあります。
うちからすれば、お宅は仕入れ先。
だから、客先がどんな風に思おうが、
機能を落としてもいいから安いのがいい。
と…
ともあれ、その頃のうちの実際の状態はと言えば、仕事はあるけどいっこうに利益がでない… と言う状況でした。
それはそうです。 【利益の概念】が欠落しているのですから、利益なんてでるはずもありません。 出たとしても、案件がすんなり納まったときのみ。 ギリギリのラインでの額の設定なので、何かあれば、速攻で〝赤確定〟でした。
そんな状況を振り返ると、こちらの意志をきっちり提示せず、有耶無耶にごまかしてきてしまった行為が、この結果を招いてしまった… のだと思うんですよね。
確かに、Cさんから放たれた一言でショックは受けたのですが、それとは逆に、もろもろのことを考えさせられるきっかけにもつながったということを思えば、むしろ、Cさんには感謝ですよね。 ありがとうございました。
そして、今。
そういった体験を踏まえた反省を元に、今は、自分たちの意志をしっかり明示し、提示するようになりました。
すると… 周りの接し方も変わってきたのです。 接し方が変わるというか、正確に言うと客層が変ったという感じでしょうか。 まぁ、中には以前と変わりなく、理解を得られない場合もありますが、その場合は、こちらの想いと合わないということなので、早めにジャッジができるようになったというわけです。
それよりも、最近では先方から先に、
設計費とかは、ちゃんと取ってくださいね。
などと言ってもらえる率が高くなったように感じています。 むろん、構想図に対する認識も同様です。
うちが方向性を変えたからというのもあるのでしょうけど、昔と違って今の方が理解されやすい環境になってきたような気もします。 世代で受け入れられやすくなったということです。 こと、若い世代になった今の方が、「考える」という行為への認識や対応が良くて、古い世代の方が凝り固まってるのは否めないのです。
ともあれ、仕事をしていく上ではお互いにリスペクトし合える間柄が一番ですよね。 最近は強くそれを思っています。
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