けたろーです。
だんだんと秋っぽい気候になってきましたよね。 先日、所用で久しぶりに北海道へ行ってきたんですけど、北海道から戻った後に初冠雪を記録したというのをニュースで知りました。 北海道の友だちに聞いたら、彼曰く、秋を通り越して冬がきたと。 だんだんと、季節が2面化してる気がしてます。
さて、今日の話題は… ボクの前職が半導体工場のSEだったということは、Biograpy などに書いてるんだけど、その当時の体験を交えて、日本とアメリカの違いについて感じることをお話ししたいと思います。
ちなみに、以前の仕事についてはこれで。
少し、おさらい…
少し、おさらいの意味をこめて。笑
高専を出て就職した先が半導体の前処理を行う工場でした。 前処理というのは、半導体ウェハの表面に回路を積層してつくるまでという意味で、業態としてウェハからチップの状態にカットする前の工程を受け持っているという会社でした。
今と違って、当時の日本は半導体全盛期の時代。
半導体は〝産業の米〟と言われていて、各社がその業界へ進出している最中でもあり、また、グローバリゼーション(グローバル化)を謳う企業が増えている時期でもあって、各社各様に本業以外の業種・業界へと参入されていたのも当時の流れとしてありました。 半導体について言えば、今じゃ、周回以上遅れ気味になってますけど。(涙)
ところで、今の世の中は閉塞感が強いんだけど90年代って、今とは全然違ってて…
振り返ると、ボクが就職した90年代の前半はちょうどバブルの末期辺りかな。 それでもまだまだ世間的な意識的にも上向き傾向な感覚があって、今よりずっと活気がありましたよ。 ボクの年代の少し前の方たちは、まともにバブル期にあたる人たちだから、ボクらよりも一層バブルの恩恵を受けてましたね。 給与感覚が全然違う。。(^_^;)
でも、90年中盤になると、ガラッと一転して就職難になってしまったので、早めに就職を決めてよかったと思ってます。
さて、ボクが入社したのは神戸製鋼とテキサスインスツルメンツ(以下、TI)が合弁で建てた会社(今は無きですが、KTIセミコンダクターと言います。)で、そこの1期生として入社しました。 会社の面接に行った頃は、まだ会社や工場自体がなくて、西神にある神戸製鋼の半導体研究部門に見学しにいったのを覚えています。 まだ、会社設立前のプロジェクト室でした。
そうそう、テキサスインスツルメンツって、その当時のボクは全く知らない会社だったんだけども、ジャック・キルビーが取得した、いわゆるキルビー特許という半導体の最初の特許を有してる会社で、ICを始めて作った会社です。
というわけで、入った会社はいわばハーフな会社だったわけですよ。
文化の違いをまざまざと。。。
会社を去るまでおおよそ9年くらいこの会社にいたのだけど文化の違いはまざまざと感じましたね。 会社文化の違いもそうだし、そもそもの考え方の違いというのもものすごく感じました。
ある意味、色んな勉強・体験ができてよかったです。 なんせ、初めて海外を体験できたのもこの会社のお陰だったのでありがたいことです。
ボクがいた会社のスタイルを端的にいうと、資本を出してるのが神戸製鋼で、半導体の製造技術を提供しているのがTIでした。 神戸製鋼の出資会社なので、いわゆる神戸製鋼の関連子会社にあたる立ち位置です。
少し余談なのだけど… 系列の関連会社ということで、親会社である神戸製鋼との人間関係がいろいろと見え隠れしてましたよ。w ボクらはプロパー(関連会社での正社員)だったので、神戸製鋼のことはあまりよくわからないのだけど、出向してきた方々を見てると、出向の形態がどうだのという話しがあったりしてね。 ちなみに、一口に出向といっても、いずれ戻るパターンと、戻らない(戻れない)パターンがあって…
印象的には、戻るパターンの人は、癖のある人も多くて。w 正直、ちょっとやりづらい人もいて、ちょくちょく意見衝突してました。 なんでか? っていうと、その方、すぐ仕事を振ってきて、それを拒否すると『〇〇さん(上司)に言うたる』ばっかり。 自分でやろうとしないし、頼み方も横柄だったので。 『オレは神戸のプロパーだぜ!』 みたいな感じ。
そうそう、たまに、神戸製鋼本社と関連会社全体が集まる会みたいなのがあって、社長のクルマをみてると全然グレードが違うの。笑 立場的には、系列の関連会社の〝社長〟と本社での本部長にあたる人たちが同列だと言われてました。
神戸製鋼に限らず、こういうのを見てると系列の序列を感じてなんだかなって思うんだけどね。
話を戻して。。。。
技術提携をしているということで、製造システム等を含めて、ほぼTIから移入。 言葉の壁があるので、その辺りは若干のカスタマイズをして使っていました。
ちなみに、入社当時は神戸製鋼からの(後戻りできないパターンの)出向者が大半(特に、クリーンルームの作業現場)で、テキサスインスツルメンツからは技術的なヘルプな立ち位置なので、社員としてくるということはなかったと記憶してます。
当初はまだ工場ができていなかったので、神戸製鋼からの出向者さんたちは先行してTIにて研修を受けられてて、入社したてのボクらも本社工場が完成するまでの間、TIの日本工場でオペレーション研修をしていました。
制服がある日本。
部署にもよるんだろうけど、神戸製鋼は(昔からの)製鉄の会社なのか、正直、結構、堅さ(硬さ)がある会社で、きっちり・くっきりしてるイメージ。 一方のTIは外資ということもあって、結構緩めで、ラフ。
一番わかりやすいのが、制服かな。
神戸製鋼は、いわゆる〝日本の工場〟で、上下が揃っていてきっちり着なさいというパターンで、うちの会社も当然、上下の制服を決めてるパターンでした。 ちゃんと着てないと、『社内ルールだから守りなさい』と、ちくちく言われるの。 同部署の人間が、というより、製造部の、特に神戸製鋼からのオッチャン連中が、こっちの部署の上にチクル見たい。(^_^;)
ボク自身のことをいうと、新人研修が終わって部署が決まり、本社工場ができるまでの間は、東京・田町や神戸・三宮という街中勤務だったので、ネクタイしめたスーツでの通勤。 本社ができてからは制服になるんだけど、これがどうも馴染めなくって。 (^_^;)
というのも、日本TIは上着だけで下は何でもOK。 そもそも、本国アメリカでは制服というのがなかった気がする。。 もっとも、クリーンルーム内での作業はきっちと決められているのだけど、Officeにいる場合は何でもOK。 それの考え方がしっくりきていて、自分ちの会社の方針には馴染めなかった。
それに、当然、制服の洗濯は各自なので人によっては洗濯もせず、襟元真っ黒で、おまけに臭いも… というのが居てたりして。 制服がほんまにええのか? と思ったりもしたかな。w めちゃくちゃ臭いやつがいたもんで。(^_^;)
たかが制服なのだけど、その辺りからして考え方が違ってた気がします。
日本は同じ制服を着ることで、規律とか連帯感を得ようとし、穿った見方をすれば、社員をコントロール(支配下)に置こうとしてる気がする。 私見だけどね。 そんな印象がありますね。 なんか、軍みたいな印象が強いです。(^_^;)
システムの考え方の違い
決定的な違いが、仕事に対する考え方です。 ボクはシステムやってたんで、それへの考え方というか捉え方がかなり違ってた印象を受けてます。 こと、システム系統は、ほぼ、TIからの移入ということもあって、そこで意見や考え方の衝突が起きるわけです。
端的に言えば、日本(神戸製鋼出)のは、
システムは24時間ノントラブルで動いて当たり前。だから、止めたらアカン。
という考え方。 製鉄の溶鉱炉などのシステムをやってきた連中さんなので、システムをとめることはご法度で、許されない行為だというのが根底にあって、それはそれは厳しかったのです。 システムがとまると、なんでや? という追及が始まるのです…
一方のTI(アメリカ)では、
システム(機械)というのは、とまって当たり前。 リブート(リセット)して直るなら、それでOK。
という感じ。 まったく真逆。
そうそう、
ある時の部署の会議で、うちの課長(神戸製鋼の出)と、TIの方とで口論になったことがあって。 その口論を目の当たりにした時は、ちょっとビビりました。 考え方の違いを認め合えばいいのだろうけど、どちらも譲らず、けなしあうというね。 (涙)
合理的なアメリカの考え方。
『システム上にバグがないように、とまらないような仕組みを考え、組み込む』 ということについては、両社ともに同じなのだけど、ベースの立ち位置が全く違うので驚きますよね。
ボク自身は、TI(アメリカ)が言ってることがすごく理解できるし、合理的だなと今でも思ってます。 特に、今は機械を作る側として、ものすごく理解できます。
システム・機械は、いずれは潰れるものだし、未来永劫ってのはあり得ないもんね。 システムを起動させているコンピュータだって同じく、時がくれば潰れる。
そりゃ、止まってしまうのはよくないと思うのだけども、〝潰れてはいけない〟という前提で考えることと、『潰れるもの』という前提で考えるのとでは、当然、考え方も変わってきます。 恐らく、その辺りのベースの考え方が、開発スピードだったり、リリースのタイミングといったところに影響してくるのかなって思ったりもします。
恐れの選択?
〝潰れてはいけない〟 って一種の『恐れ』。
総じていうつもりはないのだけど、その『恐れ』からなのだろうか、日本の製品って〝完璧〟を目指す傾向が強いように思えます。
で、潰れてはいけないから、その策を講ずるためにシステム(機械も含めて)自体が重くなってしまったり、余計なものが多かったり。 それに、その対策の所為か、開発期間やリリースまでのリードタイムが長くなってしまう。 『潰れたらアカン=粗相したらアカン』 という想いがあるから、大胆な行動をとれないというのもあるのかなと。
一方で、『潰れるもの』という前提には、あまり恐れ的な面を感じないのです。 それが起点になるから、潰れた場合の対応とか、復帰方法とか、後々の対処を考える。 リブート(リセット)すれば直るというのも、一種のそれかな。
バックアップをとるという発想も、たぶん、その辺りからきてるのだと思えます。 潰れないことが前提なら、バックアップを取る必要すらないわけだし、そんな発想はまずないのかなと。 だって、潰れないんだから。。 笑
合理的に考えてみる。
ボク自身にとってラッキーだったのは、良しも悪しも、双方を知れたことです。 片側だけ知ってても理解は薄いと思うし、両方知れたからこそ、知識や経験に深みがでたのかなと。
それで思うのは、合理的に考えてみることも大事かなって思うんです。
固定概念は合理性ではない。
アメリカのやり方をみてると、合理的だなって思うことも多いです。 よく言われるてるのが、意見を言う時。 概ね、日本は相手の顔色を窺って、回りくどく、『察しろよ!』的な。 けど、アメリカは結論や論点をズバッと。 それだけ見てても、合理的だなと思えますよね。w
それに、日本の会社をみてると日本の考え方は、四角四面で何が何でも。。という嫌いが多いのが否めないのです。 特に、老舗や大手になればなるほど、そういう考え方が多いような気がしてます。
老舗になれば、『過去の成功体験』というのが往々にしてあって、それが〝こうあるべきだ〟とか、『こうじゃなきゃだめ』といった考え方を生み出してるんだとも思えます。 でも、よくよく考えると、これって〝固定概念〟なんですよね。 それに、固定概念って伝播していくからちょっと厄介です。
固定概念が伝播するって? わかりづらいかもしれませんけど、要は、無意識の場合や自分たちの意図しないうちに『固定概念』を伝えてしまっているということです。
よくあるのが、『昔からやってる』とか、『先代(先輩)から言われた』とかというのがそれ。 何かよくわからないけど、そこに立ち止まって、考えることもなく、ただ、以前から言われているから… と、それが正しいのだと思い込み続けてしまう。
こと、大手に至る場合には、そこに系列の序列関係も加わるから、例えそこに『否』があったとしても言えない、言いづらい、抗えないという環境を生み出してしまう。
固定概念を打破するということに関して言えば、結局は、トップの在り方が問われるのだとも思えます。
それこそ、トップダウンで、トップからガッと言わない限り、固定概念という色は、中堅どころの連中に色濃く染まってしまってる場合が多いだろうし、新人を教育する立場な彼らの意識を変えない限り、固定概念は脈々と繋がれてしまう危険をはらんでいるのは明白なんです。
もっとも、トップにそんな意識がないとか、そもそも固定概念に染まってることすら認識していない場合も多いので、そうなると、新しい人たちには最悪な環境なのかもしれないですよね。
本題からちょっと、かなり? 反れたかもだけど。ww
ともあれ、変化の激しい時代。 合理的な考えを持つということも大事だってことで!
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